福島原発事故 放射線計算所

福島原発事故による放射線量と放射線被爆量を計算します。


式・グラフの正確さと誤差について

この式・グラフによってどれだけの誤差が出るのか、そして正確ならばその値からどのようなことが言えるのかなど見通し等も含めて述べたいと思います。皆さんにダウンロードするファイルはエクセルで作っていますが、図に使っているソフトは数理計算ソフトのgrapesを使っています。図の雰囲気は少し違いますが、組み込まれている関数は全く同じものです。

まず、この式やグラフがどのような計算をやっているか説明します。例えば、文科省によれば4/25現在(事故後41日=41/365年)の浪江町津島仲沖では0.0077msv/h(7.7μsv/h)の放射線量が観測されました。そうすると、式はその値から過去と未来の放射線量を計算して推定します。縦軸の単位はμSVで横軸の単位は年になっています。

見て分かるように、これから放射線量はほとんど減衰しなくなります。これは半減期が短いヨウ素131(8日)の崩壊がほとんど終わり、半減期が長いセシウム134(2.1年)、セシウム137(30年)からの放射線が残っているためです。この線量変化の比は値こそ違え、どの地点でも形はほぼ一致します。この線量変化をもとに式は累積被曝量を計算します。今の浪江町のデータ(事故後41日目=41/365年で0.0077msv/h(7.7μsv/h))で推測すると、 3月15日からの累積被曝量の変化は次のようになります。

グラフをみてわかりますが、事故後41日(0.112年)経ったこの地域での累積放射線被曝量は約15.45mSVになります。この地点で事故後1年間滞在すると64mSV程度被曝が予想されます。 (あくまで24時間野外にいたと仮定しての数値です。) 文科省のデータではこの浪江町での観測は事故後8日目からの3月23日からしか観測値がないので、その分の累積被曝量の値しか発表していません。その文科省の測定値は9.415mSV(この値を事故後41日目の浪江町のデータを使って式が求めると9.487mSV)です。つまり、15.45mSV−9.415mSV=6.035mSVが事故後から8日目まで被曝した線量になるわけです。線量変化のグラフを見てもらえば分かるように、事故後はヨウ素131からの線量が高く、かなり線量が上がります。その後ヨウ素131の崩壊の影響である程度までは落ちていきますが、それでもこの高い線量のため事故直後の被曝量はとても大きなものです。

では、この式によって計算された予測値と実際に計測された観測値ではどのくらいの誤差やばらつきが出るのか説明します。次の図は実際の観測点と累積被曝量のグラフがどのくらい一致しているかを示しています。赤いプロット点は文科省が発表した飯舘村における事故後3月23日(8.09日後)からの累積被曝量の実測値です。時間を経るにしたがって被曝量が増えていることが分かります。そして、たくさんのグラフが重なっていますが、これはそれぞれのプロット点を使って計算したグラフの残像です。

見てのとおり、1つのデータだけで計算するとほぼ、どうしても±5%程度、幅にして1割ほどのばらつきが出てしまうことが分かると思います。このため、実際の計算ではなるだけ測定データを複数入力し、その平均値を取って計算の精度と信頼性を高めています。
もうひとつ、累積被曝量予測との実測データとの違いを載せておきます。

上の図は原発の北方向にある南相馬市の累積被曝線量の実測値と式が出した予測値を比べたものです。南相馬市は4月の下旬ですでに通常値の5〜6倍程度まで線量が下がっていて安全といってもいい地点ですが、このようなところでもグラフは実測値をきれいに表しています。

グラフが表す線量と実測線量との誤差はどうでしょうか?文科省のモニタリングポストに地点83(浪江町赤宇木椚平)があって、そこは汚染が強く出ている北西方向にあり原発からの距離は24kmです。

見て、分かりますが、一日の測定値は日々変動していることが分かります。それにともなって線量の予想も上下します。そのため複数データから得られる値やグラフの平均を採用するようにしています。次は原発から遠く離れている地点1(福島市杉妻町、北西62km)の実測線量とグラフの比較です。福島市での線量も式の予測できれいに表すことができます。これはどの方向でもどの距離でも言える話であり、割合が一定の汚染物質が全方向に薄まりながら拡散したという仮定を裏付けるものだといえます。


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